PIECES OF HASHIKURE'S BRAIN

人類の、いや生物のハシクレの存在が日々どういったことを考えているのか。怖いもの見たさで覗いてみるのもアリだと思いますよ

大学と部活へのn番煎じな今の考えな話(前話も長いぞ)

どうも、ハシクレです

これを読んでいる皆さんはプラネタリウムを観たことはありますか?

ある程度の規模の街に住んでいる方は恐らく観たことがあると思います。ワタクシの場合大阪市立科学館ですね

最後に行ったのは、高校三年の授業もすべて終わり、受験もひと段落ついたころだったか。なぜか同級生に誘われ行きましたね

その子が天体好きということも知りませんでしたし、ワタクシ自身が天体好きということを言ったこともない(そもそも天体好きでもない)ので、なんで僕だけなんだって聞いた気がしますが、答えが返ってきたかも覚えていない

ワタクシにとってはどうでもよかった

ここのプラネタリウムは、他のところもしているかもしれないですが、通常の星空や星座、天体の紹介に加えて、期間ごとに異なる特集を上映しているんですね

これがとても面白い

と言っても、ワタクシは天体オタクでもなければプラネタ仲間もいないですし、特集期間が変わるごとに見に行くなんてしていませんが……

確かその時の特集は火星探査機のお話だったか

いや、何星だったかは正直覚えていないが、何かしらの探査機であったし、とても感動したのを覚えている

ワタクシはあのテの話に弱いのだ。いつだったか、テレビではやぶさ特集をやっていたときも、一人で涙を流していたような

なんでなんでしょうね

ちなみにプラネタと言えばの話でもう一つ、ワタクシが中学生だったころ、ワタクシの旧友に好きな人ができ、どうしようかと仲間内で考えていたとき、その二人に加えほかに何人かも誘って(違和感を減らすため)プラネタリウムに行くのがいいだろうという話になっていったのを思い出した

結局のところ旧友の好きな人だけ予定が合わなくなり、ギリギリでいけないことになり、旧友は落胆。対照的にワタクシはプラネタリウムに心を躍らせ、目をキラキラさせていた

 

 

……と、こんなネタを書いていると、プラネタリウムを見たくなってきた

余裕ができたら見に行こうかしら

では、本題?です

得ること、それはいつか失うこと

早いことにワタクシももう大学3回生。折り返し地点はとうに過ぎ、猛スピードで社会人という新たなステージに向かい始めていた

出遅れたものの、写真部に入って一年がたっていたので、こんなワタクシでも部内にはなじめてきた。つまり、仲間ができたのだ

相変わらずそれ以外ではさっぱりだが。学部の知り合いは一人もおらず、ついに消えずに残っていた高校写真部のlineグループにGWどこか撮りに行こうやなんて送ったほどだ

しかし、大学生活が折り返しを迎えたということは私の持つ唯一のコミュニティ、写真部との別れもすぐそこに来ているということである

この流れ、もう慣れてしまったのか、なぜかそこまで焦っていないことに驚き桃の木

あくまで持論だが、部活のメンバーは同じ組織に所属する人に過ぎない。つまり会社の同僚的な感じである

同僚と友人が異なるように、部活のメンバーと友人も異なる。やはりつながりでいえば友人は強固である

何度も書いている通り、ワタクシの周りの人、とりわけ部活のメンバーたちは部活以外にそれぞれ強固な関係をを持っているだろう

ある人は趣味友達、またある人は他大学学生でキャラの強い面々との交流

いずれもキャラの弱いワタクシにとって太刀打ちなんてできるはずもないような関係である

ワタクシがこの写真部を辞めるとき、それはワタクシと周りの人とをつなぐものがなくなるとき

コミュニティを失った者は、何も残っていないその場で彷徨って恥をかくか、古くなったコミュニティという紐でつながれた、もうそこにはいない誰かとの”共通点”を引きずって闇の中へ身体を溶かしていくかである

彼らにつながれていたからここまで来れていたが、これが切れると地の底まで落ちるぞ

その落差、耐えられるか

 

この話は本当にもう、n回目なんてネタを言うほど繰り返してしまって擦り切れそうなくらいだが、結構この持論、当たるのだ

いや、この持論をいつからか信じ込みすぎて、無意識的に自身からそう仕向けている可能性は大いにあるし、過程や結果をそんな考えに侵された心できわめて主観的にとらえている可能性もある

また、積極的に人と交流を持とうとしない自身の行動を、正当化しようとしているというか、むしろ原因は周りにあるかのように責任の所在を転嫁している可能性も感じられる

あろうことか、この考えが今の写真の作風を作り上げていると考え、むしろこのままでいいとさえ考えてしまっている

ここまで分析できているのに、当たる。当たってしまう。当ててしまう

悲しいかな、根っからの努力嫌いには自分から交流を持つための努力すら煩わしいようだ

それなのに寂しいなんて嘆いてるのだ

願いが叶うならば、努力なしに友人が欲しい。その人の中で私の優先度が極めて高い友人が

もちろん写真つながりの友人も欲しい。しかしそのためにはまず作風を変えなきゃな

暗い。撮ってる場所も場所だろ

個人的にこの作風は気に入っている。でも、こんな暗い作風が他人からの共感を得られないことも分かっている

もっとわかりやすくて、美しくて、陽のエネルギーを持っていて、そんな作風のほうが絶対いいのにな

しかも、ワタクシのスナップ撮影はいつも同じ場所だし、代り映えしないし、それにスナップの特性もあって誰かと撮りに行くのには向かない

部のみんなは優しいから写真を見せたときはある程度の反応を見せてくれるが、実際どうかは疑問が残る

残り少ない大学生活、ぶっ飛んだ変人野郎として存在感(だけ)を放ち続けるより、一歩身を引いて暗室を住みかとし、真面目でやさしい影の薄い先輩を目指そうかしら

それに合わせてしれっと作風を変えたりしてね

いくら作品の評価は人の好みによるとか、そんなこと言ったって、認められないものは認められない

認められる、もしくは認められるように変われるチャンスがあるなら、それを利用するほかないと考えるのは、認められない孤独な人間の当然な欲求である

しかし、このことは自分の信念が、承認欲求という低次の欲求に敗北することを意味する

その時が来た時、ワタクシはそれを許せるだろうか

どちらの選択をするだろうか

 

そんなことより勉強だ!学問だ!

……ということで、ここで終わっておきます。これ以上書くと、すでに崩壊し始めている文章が文章の体をなさなくなるし、ワタクシの脳みそも心もより落ち込んでしまって、新入生歓迎どころではなくなってしまう

ではでは、さようならー