PIECES OF HASHIKURE'S BRAIN

人類の、いや生物のハシクレの存在が日々どういったことを考えているのか。怖いもの見たさで覗いてみるのもアリだと思いますよ

光と影のスナップ日和

どうも、ハシクレです

 

去年の年末のこと

高校時代の知人が2人同時に大阪に帰ってくるということで、忘年会とは言ってなかったけどそれっぽいことをしたのだが、それはそれはなんともハードな(大学生らしいと言えばらしい?)ものであった

集合はいつぐらいだっけ?確か11時ぐらいにカラオケに行って、14時半までひたすら順番に歌いそのままボウリングへ

3ゲームほどやって焼肉に行き最後にまたカラオケである

特にカラオケ二回戦はまさに傑作

ワタクシ含め2人がアルコールが入っており、他3人もなぜか雰囲気酔いしている中で若干汚い替え歌(ハシクレ調べ)を歌う様はまさにカオス。どいつもこいつも中学生である

まぁ、結局のところはこういうのが一番楽しいんだなぁ。大人らしさなんて微塵もない。ちなみに大都会は二回歌った

素でこう盛り上がれるというか居られることは殆どない。それこそ1年前の年末に同じメンバーで集まった時ぶりだろうな

また集まれるのが待ち遠しいね 

では、本題です

 

最近のスナップ事情

今年の大阪の冬は楽しかった。まだまだ寒い、冬らしい日々は続いているが、すでに十分に楽しんだ

冬は空気が乾き、太陽の光も柔らかさを持ちながらどこか冷たいような、乾いた感じがして町に表情が生まれる

駄菓子から文房具、酒、タバコなどがそろう街角の商店
ワタクシが小学生の頃はよく行ったが、今ここに子供の姿はほとんど見られない

それに今年は、雪がチラつく日が比較的多く、雨の日も度々あったので、少々大袈裟だが一日として町が同じように見えた日は無かったほど

雨にガラスに車のボディ。どれも光を生かしてくれる大好きなモノだ

ひたすら新しいいつもの町に感動し、思わずシャッターを切る。鋭い観察と素早い反応、感動を覚えたものを下手な考えを生じさせる間もなく撮る。スナップはこうでないと

何か作為を持って写真を撮るのももちろんいい。ワタクシだってそうすることはよくある。だけど何だろう、ワタクシのスナップにおいては作為が入ってしまうとダメになってしまうらしい

タバコは健康に悪いし、臭いし、はっきり言って時代遅れだが、この時は美しく見えた

自分のスナップ写真を見返しているとき、その裏にぼんやりと作為が見えてしまうと萎えてしまう。他にもいろいろ要因はあるだろうが、まだまだそれを言語化できるほどにはなっていない

8年以上かけてかろうじて言語化できた中で、特に大事にしていることは、「よく観察すること、迷わないこと、たくさん感動すること」ぐらいである

コーティングが古く、フードもなし。自分も被写体も動いている中、6×7を太陽に向けてシャッターを切った
傾いてるし、ピントも甘いし、酷いもんだがなぜか惹かれる。画としての完成度を捨ててでもその瞬間、その勢いを大事にしたことがすごく活きている

ワタクシが感動するもの。うすうす気づいているだろうがそれは光である。降り注ぐように、時に射し込むように、それらはやってきてやがて何かに当たってはじけてきらめく。その様に大きな感動を覚える

ワタクシのスナップはこれを軸に、町や人の生活をメインに撮っている。少なくともここ一年は

汚れて曇ったガラスに当たる光が美しい(?)
よくこういう、汚いのがきれいっていうことを言うと大体の人の頭の上にハテナが浮かんでいるのが見て取れる。もちろんわかってくれる同士もいる

本当はブレずに作風を一貫させていきたいんだけど、そんなの無理。ブレるに決まってる

理想というものはいつだって、手が届かないものだ。だからもう開き直って、ブレていこうぜって感じ。程よい収差は写真に深みをもたらす。多少のブレも同様に人生を味わい深いものにしてくれると信じている

この写真は数少ない、作為ががっつり入った写真。こんな所見つけたら、待ってしまうよな

あんまりブレッブレなのも考え物ではあるが、軸さえ持っていれば自分らしさを見失うことはないだろう。仮に見失っても……まぁあっちこっち行きながらいずれ帰ってきそうだな

今シーズンのスナップは結構このことを考えていることが多かったかな。他の作風を試してみたりして、写真家の人たちの偉大さを再確認するなど

これまでは撮らなかったような、温かみのある写真だが、どことなく自分らしさも感じる 今まで見えなかった自分らしさってやつがわかり始めた

これからも、程よくブレながら細々と写真を続けていきます。6×7とKPをはじめとした頼れる仲間たちと共に

 

じゃあ、この話題はこの辺で

ではでは、さようならー